哲学日誌

自分に言い聞かせるために書いています。価値観の追求の為です。感想お待ちしております。

『行動』の話―潜在意識―

行動は自分の為。

 

些細な事でも怒鳴り散らす大人がいる。何でそんなことで怒るんだろう?そう思うことがある。

 

その人はそういった生き方を選んで来たんだろう。些細な事でも怒鳴り散らす生き方。その人の視点に立つと、そこには確かに怒鳴り散らす理由が存在する。自分は正しい。相手が悪いのだ。そう思っているんだと思う。

 

でも理不尽な事って世の中にいっぱいある。理不尽に遭遇するたびに自分の正当性を主張して生きていく。自分は正しい。確かに正しい。でもその行動は本当に自分の為になるのか?

 

自分を作り上げるのは過去の行動である。『何でも怒鳴り散らす大人』を例に挙げたが、どんな行動や思考にも言えることだ。今日の行動は確実に明日の行動に影響を与える。

人間の行動の95%は無意識に行われているって何かの本に書いてあった。つまり信じられないけど自分の今日の行動や思考の95%は昨日の自分と変わらない。今日の行動は明日の自分に返ってくるってことだ。

 

話を戻す。自分の正当性を主張して怒鳴り散らす人生ってどうだろう?確かに間違ってはいない。けれどその生き方は悲劇だ。理不尽は消えない。他者を変えることはできない。理不尽が悲劇なんじゃない。常に理不尽に反応してしまう自分の思考が悲劇なのだ。その悲劇から逃れるためには、自分が変わるしかない。

 

行動は誰の為に行うのか?自分の為だ。今、自分が些細な事に怒ってしまう人は、その生き方が悲劇だってことに気づかなくちゃいけない。でも自分の正当性にばかり目が行って、自分の生き方が悲劇だということに気づかない人は多い。そのことに気付けたのならもうこっちのものである。自分は間違ってはいないけど自分の考え方は悲劇なんじゃないか?そのことに気づくことができるか。

 

気づいたら、まずは行動を変えることだ。毎日5%変えていく。それがいつしか自分になる。無意識の95%になる。最初はなかなか考え方は変わらない。考え方が変わらない中で、自分の意思に反する『行動』をとる必要がある。これはなかなか大変なことだ。でもそれを継続して続けていく。するといつしか『思考』も変わる。理不尽を許容する行動や思考が95%になったということだ。

 

僕がここで言いたいのは、『行動は自分の為である』ということだ。何か人間関係に問題を抱えている人は、相手が問題だと感じてしまうだろう。しかし、そこには相手に対する歪んだ感情が既に存在している。その感情を払しょくしない限り、自分は永遠に人間関係に苦しむ。じゃあ今日はちょっと優しくしてみよう。これは誰の為か?自分の為だ。自分の中に、相手を思いやる心を築くためだ。そうやって行動を変えていくしかない。

 

人生は長い。生きていれば、自分の中に偏屈な思考や特定の人に対する偏見が生じてしまうことは誰にでもあるだろう。それが悲劇だということに気づく力。そして、その悲劇の思考に抗って、正しい行動を取る力。そういった力が人生を正しい方向に軌道修正してくれるのではないか。