哲学日誌

自分に言い聞かせるために書いています。価値観の追求の為です。感想お待ちしております。

『共同体』と『個』の話

僕の教訓の一つに、『集団』と『個』のメリハリを持つ、というものがある。

 

僕たちが社会に出るということは、『人によって自分の存在が定義されてしまう』ということだと思う。社会には様々な人間がいる。その人々全員に『ありのままの自分』で接するということは不可能だ。接する人によって、人は『自分を演じる』必要が少なからずある。

 

僕自身それは仕方がないことだと感じる。うまく生きていくためには人に合わせることも大切な時がある。

 

でも『共同体の自分』を家に持ち込んではいけない。僕たちは『個』として自分を見つめ、思考することが絶対に必要だ。自分を見つめるという行動は『共同体としての自分』から抜け出して『個』としての自分で行う必要がある。

 

 

僕たちは、社会に出れば少なからず相手の想定する『自分』や、共同体が求める『自分』を演じている。しかし、その中に長く滞在することで『本来の自分』つまり『個としての自分』の感覚が鈍ってしまう。また、『共同体での自分』は良い面だけではない。他人と関わるわけだからいろいろな障壁があり、ネガティブな感情を抱かれることもあるだろう。

 

そういった自分で『内省』をすることは毒でしかない。趣味に没頭することもそうだ。ひとりの時間は、他人の存在や共同体での自分を切り捨てて、『誰にも定義されない自分』で謳歌するべきだ。『集団』と『個』のメリハリは本当に大切な教訓だと感じる。

 

『自信』の話

僕は自分に自信がなかった。

 

 

ナルシストなわけじゃないけど、運動は抜群にできる。頭もキレる。見た目もそんなに悪くない。

 

 

でも本当に自分に自信がなかった。他の人よりも優れているのに、なんでこんなに自信がないんだろう。そう感じることが多かった。

 

 

だから自信を得るために多くのことに挑戦した。結果、自信を得ることもあった。

でもその自信も長くは続かない。

 

 

 

なんていうか、『もともとの自信』が小さい。

 

 

 

 

そして気づいた事がある。

 

『能力が認められても、自分に対する絶対的な自信を獲得することはできない。』

 

考えてもみれば、能力というものは『相対的』なものだ。

 

共同体Aでは自分が一番頭がいいかもしれない。でも共同体Bでは、下から数えた方が早い。Aでは自信満々に振る舞える。でもBでは全く自信を感じることができない。それって本当に自信と呼べるのか?

 

 

 

自信には、2つあるという。1つは、このように『自分の能力』に対しての感じる『自己効力感』だ。自分は能力がある。自分はできる人間だ。やっぱりそういった思いも自信の形成要因の1つだという。

 

確かに『自己効力感』は自信を形成する1つの要因だ。でもそれはいつも『他の人より』という条件付きだ。さっきも話したけど、『自己効力感』によって獲得できる自信は『相対的』なんだ。

 

 

おそらく、自分に自信がないと感じる人の多くは『自己効力感』の欠如が問題なんじゃない。それはもう1つの自信である『自己受容感』の欠如だ。

 

『自己受容感』とは、ありのままの自分を受け入れて愛するという感覚である。

 

自己受容感のない人は、努力によって『自己効力感』を獲得しようとする。でもそもそもの自己受容感が欠落しているから、何を達成しても自信が持てず、ちょっとの失敗で自信を失ってしまう。

 

 

 

僕は、人前で話すことが非常に苦手だった。ありのままの自分を受け入れ、愛することができていなかった。

 

 

 

でも、完璧な人間なんていない。僕は、完璧な人間よりは、ちょっと弱点がある人の方が人間味があって可愛いと思う。

 

 

人に求めていないことを自分に求めるのはやめよう。完璧を目指すのもやめよう。今の自分を愛してみよう。背伸びしなくたってヒカルことってたくさんある。

 

 

短所じゃなくて長所を伸ばせ。ってそういう言葉だと思う。短所ってやっぱり目が行きがちだ。『なんとしても短所を直さなきゃ』っていう思いは『ありのままの自分』を否定していることと同義だと思う。

 

だから、まずは『短所を含めたありのままの自分』を受け入れる。愛してみる。人生で一番大切なのは『愛』だ。完璧な人間になることじゃない。そんな自分でも、そんな自分だからこそ好きになってくれる人って絶対にいる。

 

自信の基盤は『自己受容感』だ。それができてはじめて『自分の能力』に目を向けるべきだと思う。それも今の自分を否定しないように。

 

まずは『自己受容』 

ありのままの自分を認めてあげることから始めよう。

 

参考HP 自信をつけるにはどうしたらいいの? 

 

 

『価値観』の話―1番大切にすべきこと―

世の中には多くの価値観が存在する。

 

人によって大切なことってたぶん違うんだ。

 

だから、『何を優先するべきか。』『何を中心に生きていくか。』はその人の価値観によって異なる。

 

 

僕は今までの20年間、『無意識的』に自分の行動や考え方を選択してきた。

 

子供ってそうだと思う。別に『何を中心に生きていくか?』なんて考えない。意識的に自分の頭で考え、選択していくという過程を行ってはいない。遊ぶことが楽しければ、遊ぶ。みんなが勉強に熱中していれば勉強が生活の中心になる。

 

でも、大人になると『生き方』は人によって違う事がわかってくる。だから自分の思う『これだ!』っていう生き方を『選択』していかなければならない。僕の大切にしたいことってなんだろう。

 

 

 

僕は『人とのつながり』が一番に大切にするべきことだと思う。

 

確かに人たらしになるのもよくない。何事もバランスは大切だ。

でも人間関係を疎かにした人生は、人生じゃないと思う。

 

いくら稼げても、どれだけいいとことに住んでいても、やっていることが全部好きな事でも、良い人間関係を持っているという幸福感には勝てない。―セルフマネジメントのあれこれ

 

僕たちは『人とのつながり』にかけがえのない幸福を感じる。すごく温かい幸福感。
また、それ故に悩む。うまくいかないと、悲しくなる。疎かにしてしまう。他で埋め合わせようとする事もある。でもやっぱり『愛』は尊い。自分で文字を打っていて泣きそうになる。ああ・・・死にたくない。

 

 

人生に意味はない。無意味だからこそ自分の大切だと思う『考え』を大切にしていけばいいんだ。だからこそ、僕は『愛』を大切にして生きていきたい。

『行動』の話―潜在意識―

行動は自分の為。

 

些細な事でも怒鳴り散らす大人がいる。何でそんなことで怒るんだろう?そう思うことがある。

 

その人はそういった生き方を選んで来たんだろう。些細な事でも怒鳴り散らす生き方。その人の視点に立つと、そこには確かに怒鳴り散らす理由が存在する。自分は正しい。相手が悪いのだ。そう思っているんだと思う。

 

でも理不尽な事って世の中にいっぱいある。理不尽に遭遇するたびに自分の正当性を主張して生きていく。自分は正しい。確かに正しい。でもその行動は本当に自分の為になるのか?

 

自分を作り上げるのは過去の行動である。『何でも怒鳴り散らす大人』を例に挙げたが、どんな行動や思考にも言えることだ。今日の行動は確実に明日の行動に影響を与える。

人間の行動の95%は無意識に行われているって何かの本に書いてあった。つまり信じられないけど自分の今日の行動や思考の95%は昨日の自分と変わらない。今日の行動は明日の自分に返ってくるってことだ。

 

話を戻す。自分の正当性を主張して怒鳴り散らす人生ってどうだろう?確かに間違ってはいない。けれどその生き方は悲劇だ。理不尽は消えない。他者を変えることはできない。理不尽が悲劇なんじゃない。常に理不尽に反応してしまう自分の思考が悲劇なのだ。その悲劇から逃れるためには、自分が変わるしかない。

 

行動は誰の為に行うのか?自分の為だ。今、自分が些細な事に怒ってしまう人は、その生き方が悲劇だってことに気づかなくちゃいけない。でも自分の正当性にばかり目が行って、自分の生き方が悲劇だということに気づかない人は多い。そのことに気付けたのならもうこっちのものである。自分は間違ってはいないけど自分の考え方は悲劇なんじゃないか?そのことに気づくことができるか。

 

気づいたら、まずは行動を変えることだ。毎日5%変えていく。それがいつしか自分になる。無意識の95%になる。最初はなかなか考え方は変わらない。考え方が変わらない中で、自分の意思に反する『行動』をとる必要がある。これはなかなか大変なことだ。でもそれを継続して続けていく。するといつしか『思考』も変わる。理不尽を許容する行動や思考が95%になったということだ。

 

僕がここで言いたいのは、『行動は自分の為である』ということだ。何か人間関係に問題を抱えている人は、相手が問題だと感じてしまうだろう。しかし、そこには相手に対する歪んだ感情が既に存在している。その感情を払しょくしない限り、自分は永遠に人間関係に苦しむ。じゃあ今日はちょっと優しくしてみよう。これは誰の為か?自分の為だ。自分の中に、相手を思いやる心を築くためだ。そうやって行動を変えていくしかない。

 

人生は長い。生きていれば、自分の中に偏屈な思考や特定の人に対する偏見が生じてしまうことは誰にでもあるだろう。それが悲劇だということに気づく力。そして、その悲劇の思考に抗って、正しい行動を取る力。そういった力が人生を正しい方向に軌道修正してくれるのではないか。

『努力』の話―人生は一度きり―

人生は一度きり

 

『人生は一度きり 頑張った分だけ いつか誇れるはず 胸張って歩いていこう』

―Littele Gree Monster 人生は一度きり―

 

『人生は一度きり』よく言われる言葉だ。僕の座右の書である『成功への選択』の中にもこんな一節がある。

一度の人生、二度とない。人生、いかに生きるか!半端に生きるも一回、本気に生きるのも一回。親にもらったこの命、いかに生きるか。お互い、一度しかないこの道、一度しか上がれないこの山。最善を尽くしましょう! ―成功への選択 青木仁― 

 

人生は一度きりのパラドクス

 

確かに人生は一度きりだと思って、精一杯努力することは大切な事である。それに疑いはない。本当に大切な心意気の一つであることは明白だ。

しかし、『人生は一度きり』にもバランスが大切だということに自分自身の経験から考えたい。

 

『人生は一度きりだから、最善を尽くす。遊んでいる暇なんてない。人と会う時間も惜しい。大切なのは努力だ。自分の能力や学力を伸ばすこと、仕事で成功すること。それを追求していく生活が絶対に正しい。』

 

毎日勉強して本を読み、自分の成長だけを考える日々を送っていた頃、自分自身こういった考えに無意識的に支配されていた。だんだん自分自身この生活がつらいと感じるようになった。

 

そしてふと思う。『この感覚はおかしんじゃないか?』

 

 

頑張ることは大切だ。でも…

 

頑張ることは確かに大切な事である。しかし、『頑張ること』に支配されてはいけない。『頑張ることが絶対』という強迫観念に駆られた僕の生活は、なんとも窮屈で、本当に大切なことを忘れてしまっていたと思う。何事もバランスが大切なのだ。人生で大切なのは『努力』だけじゃない。僕は『人と関わること』や『自分の好きな事をすること』にとても幸福を感じる。『愛の中で生きる』ということは一番大切にしたい価値観だ。でも、『努力の強迫観念』に駆られることで、見失ってしまった。

 

価値観は人それぞれだ。でも、『努力だけが尊い』なんて考えている人はまずいないと思う。頑張ることは大切だ。本当に大切なことだ。しかしながら頑張ることに執着しすぎて、自分の他の価値観を疎かにした生き方をしてはいけない。僕はこの症状を『ビジネス書読みすぎ症候群』と名付ける。人生で大切なことは、一つじゃないんだ。

 

人生は一度きりは、誰に対しての言葉か

 

ここまで、『ビジネス書読みすぎ症候群』に感染してしまった自分の『人生は一度きり』論について述べてきた。『人生は一度きり』の他にもそう言った言葉は存在する。『一日一日最善を尽くせ』『今日を人生最後の日だと思って生きろ』などなど。では、最後にこう言った言葉は誰に対して向けられた言葉なのか考える。

 

結局、こういった言葉は、『頑張ること』を大切な価値観として考えていながらも、頑張ることができていない人間に対しての言葉なのだと思う。頑張ることは大切だ。でも現状頑張り切れていない。そういった人々の生活を改めるための言葉である。つまり自分の複数ある生活信条の内、『頑張ること』が足りていない人々に対しての言葉である。大切にしたい生活信条は人それぞれだ。そのバランスも人によって違う。『ビジネス書読みすぎ症候群』によって得た教訓は、『薬も過ぎれば毒となる。』だ。大切な事、尊いことにもバランスがあるのだ。

 

 

 

内省と勉強と人付き合いの話

 

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